Dressing Them Up

タカラヅカが好きです

7月の観劇

今月観たもの
宝塚雪組ベルサイユのばら フェルゼン編』
帝国劇場『レ・ミゼラブル
シアタークリエ『宝塚BOYS』

雪組さんは7月頭と千秋楽観て来ました。

感想を書く間もなく過ぎてしまった。

ベルばらは壮さんのお披露目なので、5月に宝塚大劇場にも行ってたんですが
初舞台生以外の変更は断頭台の最後の大階段の照明だけでしょうか、
あれは階段全てが一瞬さあっと光る大劇版のほうが、イメージが鮮烈で好きでした。初めて見たときの衝撃が強くて。
脚本がへんてこりん(あえて言うけど相当だ)でも、役者のベルばらへの気迫と観客の熱気と、
今宵一夜やバスティーユや、牢獄の名場面だけで何とかなってしまうのでなんだかんだいってもやはり名作は名作なのかなあ。
一幕最後の、銀橋でマントを翻して去って行くフェルゼンを観客が拍手で送るところで特に思った。これぞ様式美というのを愛でる場面なんですがああ劇場でこんなものを見れるのなんて幸せなんだと思いました。

壮さんとあゆちゃんがしっかり組んでいる芝居が本当に少なくて、今回何が不満かといったら一番がそこなんですが
牢獄の場面の芝居は本当に、あの場面の特にあゆちゃんは素晴らしいです。あゆちゃんの凄みとか、ひとことひとことに込める感情の表現とか、それが壮さんの気迫に負けていない。
ざっくり言ってしまえば命をかけて助けに来た恋人を拒絶するところなわけで、それに説得力をもたせる(王妃としての誇りを持って死なせてくれ)という芝居をするには、二人のエピソードが少なすぎると思うところです。だって、二人が愛し合う場面もなく最初に二人で出てくるところからもう別れだし、小舟もまわらない!フランスの女王なのですから!もないマリーで表現するのはなあ。
それらを最後の場面の気迫だけで表現させるのって脚本の怠慢だろう…と思いながらああ壮さんとあゆちゃん凄いなあ、芝居が合うコンビなんだなあ…と感動するので役者頼みじゃんなんだかなあという気持ちは拭えませんがとにかく今後二人のお芝居をもっとみたいです。
あゆちゃんの、さようならベルサイユ、さようならパリ、の『さようならパリ』の言い方が何とも言えない感傷や愛着をこめていて、ここの言い方とても良かった。
このパリはプロローグの『嗚呼パリの夜』で、パリから始まった二人のことだと思うので
プロローグのあゆちゃんは、やっぱりマリーとして出てくるべきだなあ。
物語はパリオペラ座の出会いから始まり、さようならパリ(あの日の少女の私とフェルゼン)、さようならフランス(私は王妃として逝く)で終わると考えたいんです。

あゆちゃんの話ばかりになってしまいました。
壮さんについて、私は壮さんファンのはしくれとして出てくるのが
ありえないほどかっこいいだのお人形のように綺麗だの頭のネジがゆるゆるの発言ばかりでなんかもう恥ずかしいのであんまり書けない…。
私が壮さんの素敵だなあと思うところは、
クラシカルな大芝居と熱のある人物描写のバランスが良いところと、
あとは女子にはまっったく理解の出来ぬマッチョでひとの話聞いちゃいない傍若無人系の男性像を極めてさわやかに、健全で美しいものとして出来てしまうキャラクタ
衣装映えするビジュアル
というのがあるのですが、そりゃあベルばらと相性いいわ。

ちぎちゃんのオスカルはとても清潔で好みでした。
潔い。でもいじらしい。

まっつさんのアンドレは、一歩ひいた穏やかさ。覚めている。
でも肝心なところで優しいわ色っぼいわ歌い出すとええ声だわで…ずるいですね…

ともみんジェローデルがむしょうに好きです。絶対いい人なんだもの!
オスカル平手打ちにする場面、いつも違和感あるんだけども、ともみんジェローデルとオスカルだとそんなに嫌じゃない。二人ともすごくさっぱりした付き合いに見えるからかな。あのふたりだと常に対等に友好関係を築いて、言い争いもするけれど毎回後腐れなくさっぱりとすまない!と謝りそうな感じだから?(恋愛要素皆無)

ちぎちゃんの持ち味の清潔感にくわえ、今回オスカルが女性性で苦しむ場面が少ない。マリーとフェルゼンに詰られるのはあるけど。
ちぎちゃんのオスカルの恋心って、淡くて未だ形にならないものを持て余してるような印象なんだよね。女として惹かれている、ていうよりももっとプリミティブで儚いものな気がする。
(余談ですがまっつさんのアンドレは保護者の面が強いので、そういうちぎちゃんオスカルとまっつさんアンドレが今宵一夜からガラッと色が変わるのがとても面白いってかえろいなあ…と)
フェルゼンの答えかたは真摯で諭すようなところもありさっすが恋の留学生で優しくてびっくりしました。あれは許す。